清洲市今川塚と美濃路そして清洲城見学ウォーキング
次回の見学会は桶狭間合戦シリーズのファイナルということで、織田信長ゆかりの清須市を訪れます。
【日にち】 5月1(日)、5月2(月)
【出発場所】 名鉄・須ヶ口駅改札前
【出発時間】
午前 9時:30分
【解散場所】 名鉄・新清洲駅
【解散予定時間】
正午くらい
【持ち物】 筆記用具
【参加費】 2,000円
※非会員2,500円
【締切】 4月17(日)
※ 参加される方はマスク着用をお願いします。
※ 当日37℃以上の熱がある方は参加しないで下さい。
※ 小雨決行です。中止の場合はメールにて連絡します。
- 名鉄・須ヶ口駅
- 今川塚(もとの場所)
- 正覚寺(現在の今川塚)
- 清洲城の土居(土塁)跡
- 日吉神社
- 清洲城
- 清洲宿本陣跡
- 名鉄・新清洲駅
桶狭間の戦いで今川義元の首は討たれて、清洲にもっていかれました。
信長によって清洲で首実検された義元の首は、その後、駿河に送り届けられますが、信長によって須ヶ口という場所に義元の供養のための塚が築かれたのです。それが今川塚です。現在は正覚寺にありますが、もともと今川塚があった街道沿いの場所もセットで訪れます。
清洲城は織田信長の居城というイメージが強いですが、信長が岐阜に行った後、。そして本能寺の変後も存続した城でした。
そして信長の息子・信雄が城主になった時、清洲城が拡張され大規模な城郭になったといわれています。
今回は清洲城が最盛期の土塁跡も見に行きます。ここは現在公園になっている清洲城からかなり離れた場所にありますが、逆にいこうとここまで清洲城の城域だったという事実を実感できます。
清洲城の近くに猿で有名な神社があります。それが日吉神社。
豊臣秀吉の母・なか(大政所)が妊娠した時、男子を授かるようにと参拝したのがこの神社といわれ、後に秀吉を産んだので、現在でもご利益が信じられています。
織田信長や戦国だけが清須市の見どころではありません。江戸時代には中山道と東海道を結ぶ美濃路の宿場としても栄えました。
旧街道の雰囲気や今に残る本陣跡など、街道ウォーカーの方も楽しめる要素があります。
メインはやはり城!ということで、清洲城の見どころポイントもバッチリとチェックします。
天守だけが清洲城の魅力ではなく、周辺のディープなポイントを含め楽しみましょう。
【日にち】 5月1(日)、5月2(月)
【出発場所】 名鉄・須ヶ口駅改札前
【出発時間】
午前 9時:30分
【解散場所】 名鉄・新清洲駅
【解散予定時間】
正午くらい
【持ち物】 筆記用具
【参加費】 2,000円
※非会員2,500円
【締切】 4月17(日)
※ 参加される方はマスク着用をお願いします。
※ 当日37℃以上の熱がある方は参加しないで下さい。
※ 小雨決行です。中止の場合はメールにて連絡します。